問い
食塩の結晶は,ナトリウムイオン Na𝐴+ と塩化物イオン Cl𝐴− が電気の力で引き合って並んだものです.隣どうしの距離は約 0.28 nm で,1組のイオンを引き離すには数 eV,室温の熱運動のエネルギー 𝑘𝐵𝑇 ≈0.026 eV の100倍以上が要ります.それなのに,食塩は水に入れてかき混ぜるだけで,ばらばらのイオンになって溶けます.水の中ではイオンどうしの引力が弱まるからだといわれます.中性の分子の集まりである水が,なぜ電気の力を弱められるのでしょうか.
考えてみる
この章の最初の題材で,中性の髪の毛が下じきに引かれるのは分極するからだと説明しました.水の分子も同じで,Na𝐴+ のまわりでは負に偏った酸素の側をイオンに向けて並び,遠くから見たイオンの電荷を小さく見せるはずです.けれど,どれだけ弱まるかを分子1個ずつの重ね合わせで計算することはできません.分子の向きはその場所の電場で決まり,その電場が分子の向きで決まるからです.そこで「単位体積あたりどれだけ偏っているか」という平均の量で物質を表し,外から決められる電荷と切り分けます.
分極と分極電荷
電流をほとんど通さない物質を誘電体といいます.電場の中では,原子の電子の雲がずれる電子の偏りと,水のような極性分子が熱運動に乱されながら電場の向きにそろう向きのそろいによって,双極子モーメントが生じます.
定義 分極
誘電体の中の小さな体積 ΔV に含まれる双極子モーメントの和を ΔV で割った 𝑷 を分極という.数密度 𝑛 の分子が平均で 𝒑 をもつなら 𝑷 =𝑛𝒑(単位 Cm−2).
一様に分極した板(面積 𝑆,厚さ 𝐿)の中では,分子の正の端の隣に次の分子の負の端が来て打ち消し合い,両端の面にだけ薄い電荷の層が残ります.その面密度を 𝜎b とすると,板全体の双極子モーメントを2通りに数えて 𝜎b𝑆𝐿 =𝑃𝑆𝐿,つまり 𝜎b =𝑃 です.一般に,正の電荷(数密度 𝑛,電荷 𝑞)が 𝒖 ずれたと考えると,外向きの法線が 𝒏 の小さな面 d𝑆 を横切って外へ出る電荷は 𝑛𝑞𝒖 ⋅𝒏 d𝑆 =𝑷 ⋅𝒏 d𝑆 で,閉じた面の中にはその分の負の電荷が残ります.
[図:一様に分極した板と表面電荷]板の内部の双極子は − から + へ右向きにそろう.隣接する双極子の正負は打ち消し合い,左の面に負,右の面に正の分極電荷の薄い層が残る.
定理 分極電荷
誘電体の表面には,外向きの単位法線ベクトルを 𝒏 として面密度 𝜎b =𝑷 ⋅𝒏 の分極電荷が現れる.閉じた面の中の分極電荷の和は 𝑄b = −∫𝑷 ⋅𝒏 d𝑆(積分は閉じた面全体).
分極電荷は分子に縛られ,導線で運び出せません.極板にのせた電荷や外から持ち込んだイオンの電荷は自由電荷と呼び,添字 f で区別します.電場を作るのは両方の電荷です.
比誘電率
真空の平行板コンデンサー(面積 𝑆,間隔 𝑑)に自由電荷 ±𝑄 を与えて電源から切り離し,隙間を誘電体で満たします.誘電体は正の極板から負の極板へ向けて分極し,正の極板に接する面に −𝑃,負の極板に接する面に +𝑃 の分極電荷が現れて,極板の電荷を一部打ち消します.𝜎f =𝑄/𝑆 として,中の電場は 𝐸 =(𝜎f −𝑃)/𝜀0 です.多くの物質では,電場が強すぎなければ 𝑃 は 𝐸 に比例します.
定義 線形な誘電体と比誘電率
𝑷 =𝜀0(𝜀𝑟 −1)𝑬 と書ける誘電体を線形な誘電体,定数 𝜀𝑟 を比誘電率,𝜀 =𝜀𝑟𝜀0 を誘電率という.
代入すると 𝜀𝑟𝐸 =𝜎f/𝜀0 で,電場も電圧も真空のときの 1/𝜀𝑟 倍,容量 𝐶 =𝜀𝑟𝜀0𝑆/𝑑 =𝜀𝑟𝐶0 は 𝜀𝑟 倍です.𝜀𝑟 は,空気 1.0006,ポリエチレン 2.3,ガラス 5〜10,エタノール 24,水(20 ∘C)80 などです.比例は電場が原子の中の電場(1011 Vm−1 程度)よりずっと弱いときの近似ですが,実際にはその前に絶縁破壊が起こって電流が流れます(空気では約 3 ×106 Vm−1).
電束密度と自由電荷のガウスの法則
電場のガウスの法則 𝜀0∫𝑬 ⋅𝒏 d𝑆 =𝑄f +𝑄b に 𝑄b の式を入れて左辺へ移すと,分極電荷が消えます.
法則 電束密度と自由電荷のガウスの法則
電束密度 𝑫 =𝜀0𝑬 +𝑷 について,どんな閉じた面でも
∫𝑫⋅𝒏d𝑆=𝑄f
(右辺は面の中の自由電荷).線形な誘電体の中では 𝑫 =𝜀𝑟𝜀0𝑬.
これだけで 𝑫 が決まるのは対称性があるときです.平行板では 𝐷 =𝜎f,𝐸 =𝐷/(𝜀𝑟𝜀0) で上の結果に一致します.一様な液体の中の点電荷 𝑞 では 4𝜋𝑟2𝐷 =𝑞 から 𝐸 =𝑞4𝜋𝜀𝑟𝜀0𝑟2 で,もう1つのイオンが受ける力も 1/𝜀𝑟 倍になります.ただし液体を連続した物質と見ているので,𝑟 が分子の大きさ(水では約 0.3 nm)より十分大きいときの式です.コンデンサーのエネルギー 𝑈 =12𝐶𝑉2 に 𝑉 =𝐸𝑑 を入れると,エネルギー密度は 12𝜀𝑟𝜀0𝐸2 =12𝐸𝐷 です.
境界の条件
比誘電率 𝜀𝑟1 と 𝜀𝑟2 の誘電体が接する平面を考え,法線は1から2へ向けます.境界をまたぐ平たい箱(底面積 Δ𝑆)で 𝑫 のガウスの法則を使い,厚さを0に近づけると側面の流束が消えて (𝐷2𝑛 −𝐷1𝑛)Δ𝑆 =𝜎fΔ𝑆 です.境界をまたぐ細い長方形の道を一周する 𝑬 の線積分は,静電場が保存場なので0で,短い辺を0に近づけると (𝐸1𝑡 −𝐸2𝑡)ℓ =0 です.
[図:誘電体の境界をまたぐ箱と閉路]上は誘電体1,下は誘電体2で,法線 n は下向きにとる.薄い箱の上下の底面を貫く D₁ₙ と D₂ₙ,細い長方形の道に沿う E₁ₜ と E₂ₜ を示す.
定理 誘電体の境界の条件
電場の接線成分はつながる(𝐸1𝑡 =𝐸2𝑡).電束密度の法線成分は境界の自由電荷の分だけ跳ぶ(𝐷2𝑛 −𝐷1𝑛 =𝜎f).
自由電荷が無ければ,電気力線が法線となす角について tan𝜃1/tan𝜃2 =𝜀𝑟1/𝜀𝑟2 で,比誘電率の大きい側では力線が境界に寝ます.「境界で何がつながるか」という見方は,第26章の光の反射と透過でもう一度使います.
[図:誘電体の境界で折れ曲がる電気力線]初期状態は εᵣ₂/εᵣ₁ = 2 で,境界に自由電荷はない.スライダーで比を変えると角 θ₂ が変わる.電場の接線成分は等しいままで,法線成分は誘電率の比に反比例する.
初期状態は εᵣ₂/εᵣ₁ = 2 で,境界に自由電荷はない.スライダーで比を変えると角 θ₂ が変わる.電場の接線成分は等しいままで,法線成分は誘電率の比に反比例する.
誘電体が引き込まれる力
幅 𝑤,長さ ℓ,間隔 𝑑 の平行板コンデンサーに,隙間を満たす誘電体板を長さ 𝑥 だけ差し込みます.入った部分と入っていない部分は並列なので 𝐶(𝑥) =𝜀0𝑤𝑑[ℓ+(𝜀𝑟−1)𝑥] です.
[図:コンデンサーに引き込まれる誘電体]幅 w,長さ ℓ,間隔 d の極板の右端から誘電体が長さ x だけ入る.青の力線は極板の端で曲がり,赤の力 F は板を左へ引き込む向きに働く.w は紙面に垂直な幅である.
力の出し方は,前の題材の極板の間の力と同じです.電荷 𝑄 が一定なら,電気力の仕事 𝐹d𝑥 の分だけ 𝑈 =𝑄2/(2𝐶) が減るので 𝐹 = −d𝑈d𝑥 =𝑄22𝐶2d𝐶d𝑥 =𝑉22d𝐶d𝑥 です.電圧 𝑉 が一定なら,電源の仕事 𝑉2d𝐶 の半分が静電エネルギーの増加 12𝑉2d𝐶 に,残りが 𝐹d𝑥 になるので,やはり 𝐹d𝑥 =12𝑉2d𝐶 です.
定理 誘電体を引き込む力
電荷一定でも電圧一定でも,その瞬間の電圧を 𝑉 として 𝐹 =𝑉22d𝐶d𝑥 =𝜀0𝑤(𝜀𝑟−1)𝑉22𝑑 で引き込まれる.
同じ状態なら力は同じで,電圧一定なら力は一定,電荷一定なら 𝑉 が下がって力は弱まっていきます.力が働くのは極板の端の曲がった電場の所で,非一様な電場が誘電体の双極子を強い場の側へ引くのです.エネルギーの方法はその場を計算せずにすみますが,端の影響の広がりは 𝑑 程度なので,𝑑 が 𝑤, 𝑥, ℓ −𝑥 より十分小さいことが条件です.
分極の微視的な模型
原子を,半径 𝑎 の球に一様に広がった電子の雲(−𝑒)と中心の原子核(+𝑒)で表します.電場 𝐸 で原子核が 𝑢 ずれると,一様に帯電した球の中の電場 𝑒𝑢/(4𝜋𝜀0𝑎3)(ガウスの法則)が引き戻すので,つり合いから 𝑝 =𝑒𝑢 =4𝜋𝜀0𝑎3𝐸 です.𝒑 =𝛼𝑬 の係数 𝛼 =4𝜋𝜀0𝑎3 を分極率といいます.復元力は 𝑢 に比例するので,ばね定数 𝑒2/(4𝜋𝜀0𝑎3) のばねで電子をつないだ模型と同じです.
𝑎 =1.0 ×10−10 m なら 𝛼 ≈1.1 ×10−40 Cm2V−1.気体では 𝑃 =𝑛𝛼𝐸 から 𝜀𝑟 =1 +𝑛𝛼/𝜀0 で,空気の 𝑛 =2.7 ×1025 m−3 では 𝜀𝑟 −1 ≈3 ×10−4 と,測定値 6 ×10−4 と桁が合います.ここでは原子に働く場を巨視的な 𝐸 で近似しました.𝑛𝛼/𝜀0 が十分小さい気体では良い近似ですが,液体や固体では隣の双極子の場の補正が要ります.
水の 𝜀𝑟 がとびぬけて大きいのは,電子の偏りではなく,もともと双極子をもつ分子の向きのそろいが効くからです.熱運動が向きを乱すので,温度が上がると 𝜀𝑟 は下がります(0 ∘C で88,100 ∘C で55).
問いに戻る
Na𝐴+ を水に入れると,まわりの水の分子が向きをそろえ,イオンの表面を負の分極電荷が包みます.𝐷 は真空と同じでも,電場は 1/𝜀𝑟 ≈1/80 に弱まります.距離 0.28 nm の Na𝐴+ と Cl𝐴− の引き合うエネルギーは,真空の約 5 eV から約 0.06 eV になり,𝑘𝐵𝑇 と同じ程度です.だから熱運動がイオンを引き離せるのです(接したイオンでは連続体の近似は粗く,桁の見積もりです).
ポイント ここまでのまとめ
誘電体は電場の中で分極し,分極 𝑷 が表面に分極電荷 𝜎b =𝑷 ⋅𝒏 を作る.
線形な誘電体では 𝑷 =𝜀0(𝜀𝑟 −1)𝑬.容量は 𝜀𝑟 倍,自由電荷のまわりの電場は 1/𝜀𝑟 倍になる.
𝑫 =𝜀0𝑬 +𝑷 の流束は自由電荷だけを数える.境界では 𝐸𝑡 がつながり,𝐷𝑛 は自由電荷の分だけ跳ぶ.
誘電体を引き込む力は電荷一定でも電圧一定でも 𝐹 =12𝑉2d𝐶d𝑥.電圧一定では電源の仕事を入れる.
食塩が水に溶けるのは,向きをそろえた水の分子がイオンの電場を約 1/80 に弱め,引力のエネルギーが熱運動の程度まで下がるから.