問い
質量 1.2 ×103 kg の車が時速 72 km/h(20 ms−1)で走っています.運動エネルギーは 12𝑚𝑣2 =2.4 ×105 J です.ブレーキを踏んで止まると,運動エネルギーは0になります.この 2.4 ×105 J は,どこへ行ったのでしょうか.
考えてみる
重力やばねの力だけが働くなら,運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの和は変わりません.しかし,ブレーキの摩擦力は保存力ではなく,力学的エネルギーは保存されません.車が止まれば運動エネルギーは確かに減ります.
では,エネルギーは消えたのでしょうか.手がかりは身近にあります.両手をこすり合わせると温かくなります.坂道でブレーキを使いすぎると,ブレーキが熱くなり,焦げたにおいがすることもあります.止まった車のブレーキは,走っているときよりも熱いのです.エネルギーは消えたのではなく,目に見えない形に移ったと考えられます.その見えない形の正体を調べましょう.
内部エネルギー ― 分子の運動
物質は原子や分子の集まりで,それらは止まることなく不規則に動き回っています.この乱雑な運動のエネルギーと,原子どうしの間のポテンシャルエネルギー(前の節で見た,結合の谷の底のまわりの振動を含みます)を足し合わせたものが,物質の内部エネルギーです.物体に蓄えられているのはこの内部エネルギーで,温度が上がるのは,主に分子の乱雑な運動が活発になるからです.これに対して熱は,温度差によって物体の間を移るエネルギーの量のことです.ブレーキで増えるのは内部エネルギーで,温度が上がったブレーキから周りの空気へ移っていくエネルギーが熱にあたります.日常のことばでは内部エネルギーや温度の高さまで「熱」と呼ぶことがありますが,物理では区別します.くわしくは第16章で整理します.
走っている車では,車を作る無数の原子が,そろって同じ向きに 20 ms−1 で動いています.ブレーキの摩擦面では,ディスクとパッドの原子が互いに引っかかってはじき合い,その運動は個々の原子のばらばらな振動に変わります.規則正しいそろった運動のエネルギーが,不規則な運動のエネルギーに変わったのです.不規則な運動が活発になると,物体の温度は上がります.
定義 熱と温度の関係(比熱)
相変化がなく,その温度範囲と加熱の条件で比熱を一定とみなせるとき,質量 𝑚 の物体の温度を Δ𝑇 だけ上げるのに必要な熱の量 𝑄 は
𝑄=𝑚𝑐Δ𝑇
である.𝑐 は物質ごとの値で比熱といい,単位は Jkg−1K−1 である.水は 𝑐 ≈4.2 ×103,鉄は 𝑐 ≈4.5 ×102 である(温度や加熱の条件でわずかに変わる).
この式を使うと,問いの 2.4 ×105 J の大きさがつかめます.水 1 kg(1 L)に加えるなら Δ𝑇 =2.4×1051×4.2×103 ≈57 K で,水道水を湯に近い温度まで上げられる量です.走っている車の運動エネルギーは,意外に大きいのです.
エネルギーのいろいろ
運動エネルギーとポテンシャルエネルギー,内部エネルギーのほかに,エネルギーにはさまざまな形があります.
形 | 例 | 何が蓄えているか |
|---|
運動 | 走る車,流れる水 | 物体の運動 |
重力・弾性 | 高い所の水,縮んだばね | 力の場の中での位置 |
内部(温度) | 湯,焼けたフライパン | 分子の乱雑な運動と,分子の間の力のポテンシャルエネルギー |
化学 | ガソリン,食べ物,電池 | 分子の中の電子の配置 |
電気・光 | 帯電した物体,電流,太陽光 | 電場・磁場,電磁波 |
核 | ウラン,太陽の中心 | 原子核の中の核子の配置 |
形の多さに驚くかもしれませんが,本質は2つに絞れます.運動のエネルギーと,力(重力・電気の力・核の力)に結びついたポテンシャルエネルギーです.ガソリンが燃えるとき,電子の配置が変わって電気の力のポテンシャルエネルギーが下がり,その分が分子の乱雑な運動のエネルギーになります.物質 1 kg あたりに蓄えられた量を比べると,形による桁違いの差が見えます.
蓄えられたもの | 1 kg あたりのエネルギー |
|---|
水を高さ 100 m 持ち上げる | 約 1 ×103 J |
アルカリ乾電池 | 約 4 ×105 J |
ガソリン | 約 4.6 ×107 J |
ウラン235の核分裂 | 約 8 ×1013 J |
エネルギーの流れと効率
エネルギーを別の物体に移す方法は2つあります.力で物体を動かす仕事と,温度差で自然に流れる熱です.どちらも移った量は J で測れます.
法則 エネルギーの保存
エネルギーは,形を変えたり,ある物体から別の物体に移ったりするが,全体の量は変わらない.
ブレーキでは,ディスクとパッドの間の動摩擦力の大きさを 𝑓′,その間で滑る道のりを 𝑑 とすると,摩擦が奪う運動エネルギーは(𝑓′ が一定なら)𝑓′𝑑 で,これがディスクとパッドの内部エネルギーの増加になります.温度が上がったディスクとパッドからは,温度の低い周りの空気へ,熱としてエネルギーが移っていきます.いったん周りと同じ温度まで広がったエネルギーは,量こそ残っていても,もう仕事や運動エネルギーとして取り出せません.乱雑な運動をふたたびそろえるのが難しいからです.温度差が残っているうちは,その一部を熱機関で仕事に変えられますが,変えられる量には限りがあります.
[図:制動時のエネルギーの行き先]車の運動エネルギーはブレーキの摩擦でディスクとパッドの内部エネルギーへ変わり,その一部は周りの空気へ移る熱となる.回生ブレーキでは,一部が電池の化学エネルギーへ変わる.
エネルギーの変換のうまさは,効率で表します.
定義 効率
投入したエネルギーのうち,目的に使えたエネルギーの割合を効率という.
𝜂=有用なエネルギー投入したエネルギー
電気モーターは 90 % 以上と高いのに対し,ガソリンエンジンは 30 % 前後で,残りは熱として捨てられます.熱を仕事に変える機械の効率には,原理的な上限があります.それはなぜか,第16章で学びます.
ポイント ここまでのまとめ
ブレーキで止まった車の運動エネルギーは,ブレーキの分子の乱雑な運動のエネルギー,つまり内部エネルギーの増加に変わり,その一部は温度差によって周りへ熱として移る.エネルギーは消えず,目に見えない形に移っている.
熱は,温度差によって物体の間を移るエネルギーで,仕事と並ぶエネルギーの移り方である.相変化がなく比熱 𝑐 を一定とみなせるとき,温度を Δ𝑇 上げるのに必要な熱は 𝑄 =𝑚𝑐 Δ𝑇.
エネルギーには運動・位置・熱・化学・電気・核などの形があるが,本質は運動のエネルギーと力に結びついたポテンシャルエネルギーである.変換されても,全体の量は変わらない.
周りと同じ温度まで広がったエネルギーは仕事に戻せない.温度差があれば一部は仕事にできるが,その割合には限りがある.変換の効率 𝜂 は,有用なエネルギーを投入したエネルギーで割ったものである.