問いしるべ
問いから始める物理 力と運動の法則

力と運動の法則

摩擦

著者:柚木芹香

問い

重い箪笥を床の上で押しても,なかなか動きません.ところが,いちど動き出すと,押す力が小さくて済むようになります.

  1. 動き出す前,箪笥を押す力が強くなっても動かないのは,なぜでしょうか.

  2. 床が箪笥に及ぼす摩擦力は,いつでも「摩擦係数 × 垂直抗力」でしょうか.

考えてみる

箪笥が動かないなら加速度は0で,合力も0です.押す力と同じ大きさで逆向きの力が,床から働いているはずです.力を強めても動かないなら,その逆向きの力も強まっています.つまり,動き出す前の摩擦力は,あらかじめ決まった大きさをもつのではなく,押す力に合わせて必要なだけ現れています.垂直抗力と同じ,受け身の力です.

ただし,この力にも限りがあります.押す力がある大きさを超えると,箪笥は動き出します.そして動き出してからの摩擦力は,動き出す直前の限界よりも小さくなります.押す力が小さくて済むのはそのためです.

この結果は,ばねばかりで物体を水平に引く実験で確かめられます.引く力を0から次第に大きくしていくと,物体が動き出すまでは目盛りが増えていき(静止摩擦力が引く力につり合っている),動き出す瞬間に目盛りが少し下がって,その後はほぼ一定になります.

[図:引く力と摩擦力のグラフ]

横軸が引く力 F,縦軸が摩擦力 f のグラフ.原点から傾き1の直線で,F が限界 μN に達するまで f は F に等しく増える.そこで物体が動き出し,f は少し低い一定の動摩擦力 μ′N に下がる.スライダーで引く力を0から大きくすると,いまの点と,静止か滑っているかの状態が表示される.初期状態は静止摩擦力の途中.

したがって,冒頭の問いの答えは次のとおりです.動き出す前は,摩擦力が押す力に合わせて現れるので,押しても動きません.摩擦力はいつでも「係数 × 垂直抗力」なのではありません.静止摩擦力が μN になるのは動き出す限界の瞬間だけで,すでに滑っているときは動摩擦力 μ′N になります.

静止摩擦と動摩擦

法則 摩擦力の法則

面に接している物体について,垂直抗力の大きさを N とする.

静止摩擦力 は,物体が面に対して滑っていない間,面に沿って働き,運動方程式から決まる大きさをとる.その大きさ f には上限があり

0≤f≤μN

である.μ を静止摩擦係数という.

動摩擦力 は,物体が面に対して滑っている間,滑る向きと逆向きに働き,大きさは

f′=μ′N

である.μ′ を動摩擦係数といい,速さや接触面積にはほとんどよらない.同じ面の組合せでは μ′≤μ であることが多い.

この法則は実験でわかった近似の関係で,厳密な原理ではありませんが,ふつうの固体の面ではよく成り立ちます.

摩擦の向き

摩擦力の向きは,「物体の運動と逆」とは限りません.正確には,接触している2つの面の相対的な運動を妨げる向きです.

たとえば,ベルトコンベアに乗った荷物を前に運ぶのは,ベルトからの摩擦力です.地面を蹴って歩く人が前に進めるのも,足と地面の間の静止摩擦力のおかげです.摩擦力は物体を止めるだけでなく,動かす力にもなります.

摩擦力にも反作用があります.床が箪笥に及ぼす摩擦力の反作用は,箪笥が床に及ぼす摩擦力で,床に働きます.歩く人では,地面が足に前向きの静止摩擦力を及ぼし,足は地面に後ろ向きの摩擦力を及ぼします.すると地球は,歩く人と逆向きにわずかに加速しているはずです.その加速度がどれくらいか,「作用と反作用」の節の地球とリンゴの計算にならって見積もってみてください.

摩擦の微視的な由来

「作用と反作用」の節の終わりに,箪笥を押しても動かないとき,床が箪笥を押し返す横向きの力はどの原子の組から生まれるか,という問いを残しました.自分の予想を思い出してから読んでください.

面は,どんなに磨いても原子の大きさで見ればでこぼこです.2つの面が実際に接しているのは,見かけの面積よりはるかに小さな点の集まりで,そこでは原子どうしが引き合って付着しています.

上下の物体の接する面は原子の大きさで見ると凹凸があり,実際に触れているのは3か所の突起の先だけで,ほかの所にはすき間がある.上の物体が右へ押されると,接点をまたぐ結合が横に引きのばされ,上の原子には左向き,下の原子には右向きの摩擦力が大きさを等しくして働く. 上下の物体の接する面は原子の大きさで見ると凹凸があり,実際に触れているのは3か所の突起の先だけで,ほかの所にはすき間がある.上の物体が右へ押されると,接点をまたぐ結合が横に引きのばされ,上の原子には左向き,下の原子には右向きの摩擦力が大きさを等しくして働く.

この図から,静止摩擦力が「必要なだけ」現れる理由が見えてきます.箪笥を横へ押すと,接点の原子どうしの結合が横へわずかに引き伸ばされ,元に戻ろうとして押す向きと逆に引き返します.押す力を強めると結合はもっと伸び,引き返す力も強くなります.垂直抗力のときに面の結合が縮んだのと同じしくみで,向きが面に沿っているだけです.ただし,結合の伸びには限りがあり,伸びきると接点がちぎれて,箪笥は滑り出します.これが静止摩擦力の上限です.接点の原子の組は1組ずつ作用反作用の対になっているので,箪笥が床から受ける摩擦力と,床が箪笥から受ける摩擦力は,大きさが等しく逆向きです.

押しつける力を増やすと,でこぼこの先がつぶれて,実際の接触面積がほぼそれに比例して増え,ちぎるべき接点も増えます.これが,摩擦力が垂直抗力 N に比例する理由のごく簡単な説明です.見かけの接触面積によらないのも,同じ理由です.見かけの面積を2倍にしても,同じ重さなら1か所あたりの押しつけが半分になり,実際に接している面積の合計はほとんど変わりません.

動き出すと摩擦が小さくなる理由は,この簡単な絵だけでは説明しきれず,今も研究が続いています.滑っている間は接点がちぎれては付き直すことを繰り返していて,静止しているときほど付着が育つ時間がない,というのが1つの見方です.

斜面で滑り出す角

粗い斜面の上に物体を置いて,斜面を少しずつ傾けていきます.物体が静止しているうちは,斜面に沿った向きのつり合いより,摩擦力は f=mgsin⁡θ,垂直抗力は N=mgcos⁡θ です.傾きを増やすと f は増え,N は減ります.f が限界 μN に達する瞬間に物体は滑り出します.その角を θ0 とすると

mgsin⁡θ0=μmgcos⁡θ0∴μ=tan⁡θ0

となります.質量 m が消えているので,この角は物体の重さによりません.斜面を傾けるだけで,静止摩擦係数がはかれます.一定の速さで滑り下りる傾きを調べれば,動摩擦係数も μ′=tan⁡θ ではかれます.

摩擦の問題の解き方

摩擦の問題では,最初に「滑っているのか,滑っていないのか」がわかりません.そこで,次の手順をとります.

ポイント 摩擦の問題の手順

  1. 滑っていないと仮定して,静止摩擦力 f を運動方程式から求める(加速度が0ならつり合いの式になる).

  2. f≤μN を確かめる.はじめに面に対して静止していた(相対速度が0だった)物体なら,満たしていれば仮定が正しく,この f が答えである.

  3. 満たしていなければ仮定が誤り.また,はじめから面に対して動いている物体は,この判定をせず滑っているとみなす.滑っているとして,摩擦力を μ′N(向きは相対運動と逆)に置き直して解く.

重ねた物体や斜面上で動く物体では,どの面で滑るのかが複数の可能性をもちます.その場合は,面ごとに「滑るかどうか」を調べます.

ポイント ここまでのまとめ

  • 静止摩擦力は運動方程式から決まる「必要なだけ」の力で,上限は 0≤f≤μN.動摩擦力は滑る向きと逆向きに f′=μ′N である.

  • 問いの答えは,動き出す前は押す力に合わせて摩擦力が増えるので動かない,摩擦力が係数 × 垂直抗力になるのは,静止摩擦力が限界の μN に達した瞬間と,滑っているときの μ′N だけ,である.

  • 摩擦力の向きは相対運動を妨げる向きで,物体を動かす力にもなる.摩擦力にも,相手の面に働く反作用がある.

  • 摩擦力と垂直抗力は,接点で向かい合う原子の組の電気の力を,面に沿う向きと垂直な向きに分けたものである.静止摩擦力が必要なだけ現れるのは,接点の結合が横に伸びて引き返すからで,伸びきって接点がちぎれると滑り出す.

  • 斜面を傾けて滑り出す角から μ=tan⁡θ0 が得られ,質量によらない.

  • 解くときは,滑っていないと仮定して f≤μN を確かめ,だめなら動摩擦力に置き直す.