問い 氷の 張った 広い池の 上で,パックを 手で 軽く 押し出す ことを 考えます.手を 離れた パックは,しばらく 滑って 止まります.では,氷が もっと なめらかに なり,摩擦が まったく 無くなり,空気抵抗も 無視できるとしたら,パックは どこまで 行くでしょうか.
もう ひとつ.私たちは「物を 動かし 続けるには,力を 加え続けなければならない」と 感じています.台車は 押すのを やめると 止まりますし,自転車も こぐのを やめれば 遅くなります.この 感覚は,物理の 目で 見ると,どこが 違っているのでしょうか.先を 読む前に,自分の 考えを 一文で 書いてみてください.
考えてみる 台車を 押すのを やめると 止まるのは,本当に「力が 無くなったから」でしょうか.床の 上の 台車は,床との こすれ合いに よって 絶えず後ろ 向きに 引き止められています.押すのを やめれば,この 引き止める 力だけが 残って,台車は 減速します.もし床を ワックスで 磨けば,台車は 前よりも 遠くまで 進みます.氷の 上ならもっと 遠くです.
そこで,こう 考えてみます.床が なめらかに なるに つれて,止まるまでの 距離は どんどん 伸びていきます.では,引き止める ものが 完全に 無くなった 極限では,どうなるでしょう.止まる 理由が 無いのですから,止まりません.同じ速さの まま,まっすぐ 進み続けるはずです.これが 最初の 問いへの 答えの 方向です.摩擦も 空気抵抗も 無く,水平方向の 合力が0なら,パックは どこまでも 同じ 速さで 進みます.
日常の 感覚が「動き続けるには 力が 要る」と 告げるのは,私たちの 身の 回りには,いつも 摩擦や 空気の 抵抗が あるからです.押している 力は,運動を「保つ」ために 使われているのではなく,運動を「止めようと する 力」を 打ち消すために 使われています.この 見方の 転換が,力学の 出発点です.
アリストテレスの 見方と ガリレオの 思考実験 古代ギリシャの アリストテレスは,荷車などを 動かす 日常の 観察から,次のように 考えたと 紹介されます.ここでは 導入の ために 単純化した形で 示します(実際の アリストテレスは,自然な 運動と 強制された 運動を 区別し,媒質の 抵抗も 論じています).
定義 アリストテレスの 見方(単純化した もの)
荷車を 動かす 場面のように,物体の 速度は,それに 働く 力に 比例する.力を 加えなければ,物体は 止まる.
台車や 荷車の 観察と よく 合っているので,この 考えは 長い間 信じられました.重い 物ほど 速く 落ちると いう 印象も,この 考えと 結び ついています.
これに 疑問を 投げかけたのが,17世紀の ガリレオです.彼は,実際には(当時の 技術では)作れない 理想的な 状況を 頭の 中で 組み立てる ことで,法則を 見抜きました.次の 思考実験です.
[図: 斜面の傾きを小さくしていく思考実験] なめらかな谷の左の斜面の高さ h から球を静かに放す図.右の斜面を急・ゆるい・もっとゆるい・水平の4通りに重ねて描き,傾きがあれば球は同じ高さ h まで上り,傾きがゆるいほどその位置は右へ遠ざかる.水平にすると高さ h に届かず,球は同じ速さで進み続ける.傾きを選ぶと,その斜面での球の動きを再生できる.
なめらかな谷の左の斜面の高さ h から球を静かに放す図.右の斜面を急・ゆるい・もっとゆるい・水平の4通りに重ねて描き,傾きがあれば球は同じ高さ h まで上り,傾きがゆるいほどその位置は右へ遠ざかる.水平にすると高さ h に届かず,球は同じ速さで進み続ける.傾きを選ぶと,その斜面での球の動きを再生できる.
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なめらかな 斜面を 谷の 形に 向かい合わせて 置き,左の 斜面の 高さ ℎ h の 所から 球を 静かに 放します.球は 転がり下り,谷底を 通って 右の 斜面を 上り,ほぼ同じ 高さ ℎ h まで 達して 止まります.右の 斜面の 傾きを 小さくしていくと,球は 同じ高さ ℎ h に 達するまでに,より 長い 距離を 進まなければなりません.傾きを ゼロに して 水平に してしまえば,球は 元の 高さに 達する ことができず,永遠に 進み続ける ことになります.
この 推論には,ふたつの 大切な 点が あります.ひとつは,摩擦を 取り除いた 極限を 考えている こと.もう ひとつは,「元の 高さまで 上る」と いう,実際に 確かめられる 事実から 出発している ことです.実験できない 極限も,確かめられる 事実の 延長と して 考えると,筋の 通った 結論に なります.
慣性の 法則 ガリレオの 洞察を,ニュートンは 力学の 第1法則と して まとめました.
法則 ニュートンの 第1法則(慣性の 法則)
物体に 力が 働かない(働く 力の 合力が 0 0 である)とき,物体は 静止し続けるか,等速直線 運動を 続ける.
式で 書けば,合力が 𝑭 = 0 F = 0 の とき速度 𝒗 v が 一定で,加速度が 𝒂 = 0 a = 0 と いう ことです.
ここで 注意したいのは,「静止」と「等速直線 運動」が 同じ 扱いに なっている ことです.静止は 速度が 𝒗 = 0 v = 0 と いう 等速直線 運動の 特別な 場合に すぎません.どちらの 状態も,それを 続けるのに 力は 要りません.力が 必要に なるのは,速度を「変える」とき,すな わち加速度を 生じさせる ときです.
物体が 今の 速度を 保とうと する この 性質を,慣性と いいます.慣性が 大きいか 小さいかを 表す量が 質量ですが,その 話は,この 章の「運動方程式」の 節で 扱います.
慣性系 慣性の 法則は,どんな 立場から 見ても 成り 立つわけではありません.急発進する 電車の 中で,床に 置いた 滑らかな ボールを 見てください.電車の 外の 地面に 立つ人には ボールは その 場に 残っているように 見えますが,電車の 中の 人には,ボールが 突然後ろ 向きに 転がり始めるように 見えます.ボールには 水平方向の 力が 働いていないのに,電車の 中の 人から 見ると 加速しているのです.
つまり,慣性の 法則が 成り 立つかどうかは,「どの 立場(基準系)から 見るか」に 依存します.そこで,法則が 成り 立つ基準系に 名前を 付けます.
定義 慣性系
慣性の 法則が 成り 立つ基準系.すな わち,他の 物体から 力を 受ける 理由の ない 物体が,等速直線 運動(または 静止)を 続けるように 見える 基準系.
「力を 受けていない」ことは,どのように 判断するのでしょうか.力は 他の 物体との 相互作用から 生じます.周りに 触れている 物体も,近くに 引力や 斥力を 及ぼす ものも 見当たらない物体を「力を 受けていない物体」と 考えるのです.そうした物体が 等速直線 運動を するように 見える 基準系が,慣性系です.
慣性系が ひとつ 見つかれば,それに 対して 等速直線 運動を している 基準系は,みな 慣性系に なります.実際,慣性系に 対して 速度 𝑽 V (一定)で 動く 基準系から 見た物体の 速度は,𝒗 ′ = 𝒗 − 𝑽 v ′ = v − V です.𝑽 V が 一定なら,𝒗 v が 一定である ことと 𝒗 ′ v ′ が 一定である ことは 同じです.加速度も,𝒂 ′ = 𝒂 a ′ = a と なって 変わりません.だから,等速で 走る 静かな 電車の 中では,ボールを 落としたりジャンプしたりしても,止まっている 部屋の 中と 同じように 運動します.
逆に,慣性系に 対して 加速している 基準系は 慣性系ではありません.先ほどの 急発進する 電車の 中が そうです.
[図:電車の中と地上から見たボールの軌跡] 左右に並べた2つの側面図.左は電車の中の人から見たボールの軌跡で,ボールは真上に上がり,同じ手元に真下へ戻る直線.右は地上の人から見た同じボールの軌跡で,電車の速さVで前へ進みながら上がり下りするので放物線になる.見る立場が違っても,等速で走る電車の中は慣性系である.
では,私たちが 立っている 地面は 慣性系でしょうか.地球は 自転し,太陽の まわりを 公転していますから,厳密には 加速度 運動を しています.ただし,その 加速度は 小さく,大きさを 見積もると,自転に よる 赤道での 加速度は 0 . 0 3 4 m s − 2 0.034 m s − 2 ほど,公転に よる 加速度は 0 . 0 0 6 m s − 2 0.006 m s − 2 ほどです.重力加速度 𝑔 = 9 . 8 m s − 2 g = 9.8 m s − 2 と 比べれば,千分の 数個に すぎません.そのため,日常の 実験や 入試に 出てくる 運動では,地面を 慣性系と みなして 構いません.この 本でも,特に 断らない 限り,地面を 慣性系と して 扱います.
慣性の 法則は,運動方程式で 合力を 0 0 と おいた 特別な 場合のように 見えます.しかし,この 法則には 独自の 役目が あります.「どの 基準系で 運動方 程式を 使って よいか」を 決めると いう 役目です.運動方 程式は,慣性系でだけ,そのままの 形で 使えます.
ポイント ここまでの まとめ
問いの 答え:摩擦も 空気抵抗も 無く 水平方向の 合力が0なら,パックは 同じ速さで どこまでも まっすぐ 進む.動き続ける ために 力は 要らない.
力が 必要に なるのは,速度を「変える」とき,すな わち加速度を 生じさせる ときである.
第1法則:合力が 0 0 なら,物体は 静止し続けるか,等速直線 運動を 続ける.静止は 等速直線 運動の 特別な 場合に すぎない.
物体が 今の 速度を 保とうと する 性質が 慣性である.質量との 関係は「運動方程式」の 節で 扱う.
慣性の 法則が 成り 立つ基準系が 慣性系である.慣性系に 対して 等速直線 運動を する 基準系も 慣性系で,加速している 基準系は 慣性系ではない.この 本では 地面を 慣性系と みなす.