問いしるべ
問いから始める物理 気体の分子運動論

気体の分子運動論

気体の圧力と分子の運動

著者:柚木芹香

問い

自転車のタイヤに空気を入れると,タイヤは硬く張って人の体重を支えます.けれどタイヤの中にあるのは,目に見えないほど小さな分子がばらばらに飛び回っているだけです.触れることもできないような軽いものの集まりが,どうしてこれほどの力を出せるのでしょうか.そして,夏の炎天下に置いた自転車のタイヤが朝よりも硬くなっているのは,分子に何が起きたからでしょうか.

ここから熱の分野(第15章から第19章)に入ります.温度・圧力・熱という手で触って分かる量を,それを作っている原子や分子の運動から組み立て直すのが目標です.この章では気体の圧力と温度を分子の運動から導き,その描像がどこで破れるかまで見ます.以降は第16章で熱力学の法則,第17章でボルツマン分布と等分配則,第18章でゆらぎと輸送を扱い,第19章が総合演習です.

ポイント 熱の分野で使う記号

記号

意味

T

絶対温度(単位 K).熱の章では張力に T を使わない

N

分子の数.熱の章では垂直抗力に N を使わない

n=N/V

数密度(単位 m−3)

ν=N/NA

物質量(単位 mol)

w=V/ν

モル体積(単位 m3mol−1)

kB, R=NAkB

ボルツマン定数,気体定数

数密度 n と物質量 ν は読み違えやすいので,式を見たらどちらなのかを単位で確かめてください.

考えてみる

壁が押される理由は,分子がぶつかって跳ね返るときの力積(第5章)だと考えるのが自然です.1個の力積はごく小さく一瞬ですが,ぶつかる数が途方もなく多ければ,衝突の跡が切れ目なく続いて一定の力に見えるはずです.実際,0∘C,1.0×105Pa の空気では,1辺 1cm の立方体の中に 2.7×1019 個の分子があり,1cm2 の壁が1秒に受ける衝突は 1023 回ほどです.これなら「平均の力」で扱ってよさそうです.

困るのは,分子の速さも向きもばらばらで,1個ずつの運動を追えないことです.追う必要もありません.必要なのは「平均」です.どの量をどう平均すれば圧力になるのかを決めていきましょう.

壁にぶつかる分子の力積

一辺 L の立方体の容器に,質量 m の分子が N 個入っているとします.まずは分子どうしの衝突を忘れ,壁とはなめらかに弾性衝突するとします.x 軸に垂直な右の壁を考えます.速度の x 成分が vx の分子が右の壁で跳ね返ると,vx が −vx に変わるだけで vy,vz は変わりません.分子の運動量の x 成分の変化は −2mvx なので,壁は 2mvx の力積を受けます.

立方体の右の壁で分子が弾性衝突する.壁に垂直な x 成分は v_x から −v_x に反転し,壁に平行な y,z 成分は変わらない.右側で衝突前後の3成分を比較する. 立方体の右の壁で分子が弾性衝突する.壁に垂直な x 成分は v_x から −v_x に反転し,壁に平行な y,z 成分は変わらない.右側で衝突前後の3成分を比較する.

この分子は x 方向に往復するのに 2L/vx の時間がかかるので,時間 t の間に右の壁へ vxt/(2L) 回ぶつかります.したがって,この1個の分子が壁に及ぼす力の時間平均は

2mvx⋅vxt/(2L)t=mvx2L

です.すべての分子について足し,壁の面積 L2 で割ると,圧力は

p=1L3∑i=1Nmvx,i2=Nm⟨vx2⟩V=nm⟨vx2⟩

となります.ここで V=L3,⟨vx2⟩ は vx2 の全分子についての平均です.

容器の形に頼った議論に見えるので,別の数え方でも確かめます.面積 S の壁に時間 Δt の間に届くのは,壁へ向かう速度成分をもち,壁から vxΔt より近くにいる分子で,その数は nvxΔtS です.1個あたり 2mvx の力積を運び,壁へ向かう分子は全体の半分なので,平均すると p=nm⟨vx2⟩ で同じ式になります.容器の形も大きさも出てきません.

面積 S の壁へ同じ速度で向かう分子を考える.壁の前の斜めの筒の中にいる分子は時間 Δt 以内にこの面へ届く.壁に垂直な x 方向の長さは v_x Δt,筒の体積は S v_x Δt である. 面積 S の壁へ同じ速度で向かう分子を考える.壁の前の斜めの筒の中にいる分子は時間 Δt 以内にこの面へ届く.壁に垂直な x 方向の長さは v_x Δt,筒の体積は S v_x Δt である.

分子の運動に向きの偏りがなければ ⟨vx2⟩=⟨vy2⟩=⟨vz2⟩ で,3つを足すと ⟨v2⟩ になるので ⟨vx2⟩=⟨v2⟩/3 です.これを入れると

公式 圧力の分子運動論

p=23NV⟨12mv2⟩すなわちpV=23N⟨12mv2⟩

圧力は,数密度と分子1個あたりの平均運動エネルギーの積で決まる.ただしこれは,分子の体積と分子間の力をともに無視できるほど希薄な気体についての式である.

分子どうしの衝突を入れても,運動量とエネルギーが保存し向きの偏りも生まれないので,この結果は変わりません.しかし囲みの条件が破れる高密度の気体では式そのものに補正が付き,これは後の「実在気体」の題材で扱います.式に分子の種類が入らないので,混合気体では各成分の寄与をそのまま足せます.成分ごとの pi=23ni⟨Ki⟩ を分圧といい,全圧は分圧の和になります(ドルトンの法則).

温度をどう決めるか

ここまで温度という言葉を使わずに済ませてきました.圧力は力と面積という既習の量で定義できますが,温度はそうはいきません.「分子の運動の激しさ」と言いたいところですが,それでは固体や,氷と水が共存している状態の温度を測る手順になりません.そこで経験法則から出発します.2つの物体を触れ合わせて十分に待つと熱のやりとりが止まり,どちらの性質も変わらなくなります.この状態を熱平衡といいます.

法則 熱力学第零法則

物体 A と B がそれぞれ物体 C と熱平衡にあるなら,A と B も互いに熱平衡にある.

当たり前に見えますが,これがあって初めて温度計が作れます.C を温度計として持ち歩けば,A に当てた結果と B に当てた結果を比べるだけで,両者を直接触れさせずに熱平衡かどうかが分かるからです.つまり「熱平衡にある」という関係で物体を仲間分けでき,仲間ごとに1つの数を割り当てられます.その数が温度です.割り当て方は,温度とともに単調に変わる量(測温物性.液柱の長さ,電気抵抗,熱起電力,一定体積の気体の圧力など)を1つ選び,再現できる定点で目盛りを校正して決めます.

ただし,どの測温物性を選ぶかで定点の間の目盛りは少しずつ食い違います.気体温度計だけは特別で,気体を薄くする極限では気体の種類にも物性の選び方にもよらない同じ目盛りになります.そこで,一定体積に閉じた気体の圧力に比例させ,水の三重点(氷・水・水蒸気が共存する1点)を 273.16K とする目盛りを絶対温度(単位ケルビン K)と呼びます.摂氏との関係は T/K=t/∘C+273.15 で,刻みは同じなので温度差は共通です.この章の T はすべてこの絶対温度です.温度計と目盛りの詳しい扱い,そして気体という特定の物質にも頼らない熱力学温度は,第16章の「温度と熱」で扱います.

温度は分子の運動エネルギー

希薄な気体では,温度を一定に保つと pV が一定(ボイルの法則)になり,その値は分子の数と絶対温度に比例します.大事なのは,同じ1本の式が広い範囲の圧力と温度で,どんな気体にも使えるという実験事実です.

法則 理想気体の状態方程式

希薄な気体では

pV=NkBT=νRT

が成り立つ.kB=1.38×10−23JK−1 をボルツマン定数,R=8.31Jmol−1K−1 を気体定数という(NA=6.02×1023mol−1 はアボガドロ定数).この式に厳密に従う気体を理想気体という.

これと圧力の分子運動論の式を比べると,温度の意味が見えてきます.

ポイント 温度の分子論的な意味

理想気体では,分子1個あたりの並進運動エネルギーの平均は

⟨12mv2⟩=32kBT

である.温度は,分子の乱雑な並進運動の激しさの目安であり,分子の種類によらない.

体積 V と分子数 N が同じ容器で低温と高温を比べる.高温では速度の矢印が平均として長く,壁への衝突回数も1回の力積も増える.赤い矢印は壁を押す力の増加を表す. 体積 V と分子数 N が同じ容器で低温と高温を比べる.高温では速度の矢印が平均として長く,壁への衝突回数も1回の力積も増える.赤い矢印は壁を押す力の増加を表す.

3方向に等しく分けると1方向あたり 12kBT です.エネルギーが2乗の形で入る運動1つあたり 12kBT ずつ分けられるという考えを等分配則といい,成り立つ条件は第17章で整えます.単原子分子の気体では並進の3つしかないので,内部エネルギーは U=32NkBT=32pV です.重い分子と軽い分子を混ぜて放っておくと,衝突を通して平均運動エネルギーが等しくなるところで落ち着きます.速さが等しくなるのではない点に注意してください.

ここから,2乗平均の速さ(根二乗平均速さ)が出ます.

vrms=⟨v2⟩=3kBTm=3RTM

で,M はモル質量です.窒素(M=2.8×10−2kgmol−1)で T=300K とすると vrms≈5.2×102ms−1,空気中の音速 3.4×102ms−1 と同じ桁です.音は分子の熱運動が圧力の変化を次々に受け渡して伝わるので,速さの目安が分子の速さで決まるのは自然です.ただし「音は分子より速くは進めない」とは言い切れません.分布のどの速さと比べるかで答えが変わるからです.第16章で断熱変化から音速を導くと cs/vrms=γ/3(γ は比熱比)という比が出ます.

同じ温度なら vrms∝1/m なので,水素分子は窒素分子の約 3.7 倍,室温で 1.9×103ms−1 ほどです.地表の脱出速度 1.12×104ms−1 にはまだ遠く,これだけで「水素は逃げる」とは言えません.大気からの脱出には,高温の上層大気で分布の高速側の分子が逃げ,そこでは衝突がまれで一度外を向いたら戻らないことが効きます.軽い分子が長い時間をかけて優先的に失われる,という別の模型が必要です.

ポイント ここまでのまとめ

  • 圧力は分子が壁に与える力積の時間平均で p=nm⟨vx2⟩.向きの偏りがなければ pV=23N⟨12mv2⟩ で,容器の形によらない.分子の体積と分子間力を無視できる希薄な気体についての式で,混合気体では分圧の和が全圧になる.

  • 温度は,熱平衡と第零法則の上で,測温物性の校正として定義される.希薄な気体の圧力で測った目盛りが絶対温度で,摂氏とは 273.15 だけずれる.

  • 状態方程式 pV=NkBT=νRT と比べると,分子1個あたりの平均並進運動エネルギーは 32kBT で,分子の種類によらない.1方向あたりは 12kBT.

  • vrms=3RT/M は室温の窒素で 5×102ms−1 程度.音速と同じ桁だが,比の値は断熱変化から決まる.

  • 問いの答え:タイヤを支える力は,膨大な数の分子の衝突の力積の平均である.分子数と体積が変わらない範囲では p=NkBT/V から p∝T なので,温度が上がれば圧力も上がる.分子の側から見れば,速さが増して1回の力積も衝突の回数もともに増えたことになる.だから炎天下のタイヤは朝より硬くなる.