問い
使い捨てライターを振ると,中で液体が揺れる音がします.燃えるのはブタンという気体なのに,ボンベの中身は液体です.けれど前の題材で立てた 𝑝𝑉 =𝑁𝑘𝐵𝑇 は,圧力をどれだけ上げても体積がそれに応じて小さくなるだけで,気体が液体に変わるとは言っていません.実際,窒素は室温でどれだけ強く押しても液体になりません.同じ「気体」で,なぜこの違いが出るのでしょうか.理想気体の式は,どこで何を落としているのでしょうか.
考えてみる
前の題材で,圧力の式を導くときに置いた仮定を思い出します.分子の体積は容器の体積に比べて無視できる,分子は壁の間を自由に飛ぶ(分子どうしは力を及ぼさない)の2つです.どちらも,本当は正しくありません.分子には 10−10 m ほどの大きさがあり,離れていればわずかに引き合い,重なるほど近づけば強く反発します.これは第6章「ポテンシャル図」で見た分子間ポテンシャルの形そのもので,近距離で急に立ち上がる反発の壁と,遠方へゆるやかに0へ近づく浅い引力の谷からできています.
薄い気体では,分子が互いの近くにいる時間がごくわずかなので,どちらの効果も現れません.けれど押し縮めていくと,分子の体積の割合が増え,隣の分子を感じる時間も長くなります.そこで,2つの仮定を順にゆるめ,状態方程式がどう変わるかを調べましょう.
分子の大きさ:使える体積が減る
分子を直径 𝑑 の硬い球とみなします.2個の分子の中心は 𝑑 より近づけないので,1個の分子の中心から見て,相手の中心が入れない領域は半径 𝑑 の球,体積 43𝜋𝑑3 です.この領域は分子の対ごとに1つなので,対を2回数えないように半分ずつ受け持たせると,分子1個あたり 23𝜋𝑑3.1モルあたりでは
𝑏=23𝜋𝑁𝐴𝑑3
となります.これを排除体積といいます.分子自身の体積 𝜋6𝑑3 のちょうど 4 倍で,𝑑 の3乗に比例する点が大切です.
[図:硬球の排除領域]直径dの硬球が接すると中心間距離はdになる.一方の中心の周りの半径dの領域へ,相手の中心は入れない.球の断面で示す.
分子が飛び回れるのはモル体積 𝑤 =𝑉/𝜈 のうち 𝑤 −𝑏 だけです.前の題材の導出で容器の体積を 𝑤 から 𝑤 −𝑏 に取り替えると,同じ温度でも圧力は上がります.
𝑝=𝑅𝑇𝑤−𝑏
分子に大きさがあるだけで,気体は理想気体より押し返しが強くなるのです.
分子間の引力:壁への当たりが弱まる
次に引力を入れます.気体の内部にいる分子は四方から引かれて,平均すれば力が打ち消します.ところが壁のすぐ近くの分子は,内側にだけ仲間がいるので,内向きに引かれます.壁に向かって飛んできた分子は,このブレーキを受けてから壁を叩くので,与える力積は引力がないときより小さくなります.
[図:壁付近の分子間引力]内部の分子は四方の引力が打ち消し合う.壁付近には壁側の分子がなく,内向きの引力が残るため壁へ渡る力積が小さくなる.
減り方の大きさを見積もります.1個の分子が受ける内向きの引力は,周りにいる仲間の数に比例するので数密度 𝑁/𝑉 に比例します.そしてブレーキを受ける分子の数も数密度に比例します.したがって圧力の減り分は数密度の2乗,すなわちモル体積の2乗の逆数に比例し,𝑎/𝑤2(𝑎 >0 は気体ごとの定数)と書けます.2つの補正を合わせると,次の式になります.
法則 ファンデルワールスの状態方程式
モル体積を 𝑤 =𝑉/𝜈 として
(𝑝+𝑎𝑤2)(𝑤−𝑏)=𝑅𝑇すなわち𝑝=𝑅𝑇𝑤−𝑏−𝑎𝑤2
𝑎 は分子間の引力の強さ,𝑏 は分子の大きさ(排除体積)を表す,気体ごとの正の定数である.𝑤 は 𝑏 より大きい範囲でしか意味をもたない.
これは厳密な法則ではなく,2つの効果をそれぞれ最も簡単な形で入れた模型です.それでも,理想気体では決して起こらないことを説明できます.
いつ理想気体でよいのか
空気を例に桁を見ます.1.0 ×105 Pa,300 K では 𝑤 =𝑅𝑇/𝑝 ≈2.5 ×10−2 m3mol−1 です.空気の 𝑏 ≈3.9 ×10−5 m3mol−1,𝑎 ≈0.14 Pam6mol−2 を使うと,2つの補正の大きさは
𝑏𝑤≈1.6×10−3,𝑎𝑅𝑇𝑤≈2.2×10−3
で,どちらも 0.3 % に届きません.だから常温常圧の空気には理想気体の式を安心して使えます.逆に,同じ温度で圧力を 100 倍にすると 𝑤 は 100 分の1近くになり,同じ見積もりで補正はそれぞれ 16 %,22 % ほどに達します.理想気体の式が成り立つのは,モル体積が 𝑏 に比べて十分大きく,𝑅𝑇 が 𝑎/𝑤 に比べて十分大きいときです.前の題材で導いた 𝑝𝑉 =23𝑁⟨12𝑚𝑣2⟩ と 𝑝𝑉 =𝜈𝑅𝑇 も,この条件の下での式でした.
液体になれる気体,なれない気体
𝑝 =𝑅𝑇/(𝑤 −𝑏) −𝑎/𝑤2 を,温度を固定して 𝑤 の関数として描いてみます.温度が高いと,第1項が大きいので 𝑝 は 𝑤 について単調に減ります.温度を下げると第2項の効き方が勝つ範囲が現れ,𝑤 を小さくすると圧力が下がるという,ありえない向きの部分(𝜕𝑝𝜕𝑤 >0)が生じます.この部分が現れ始める境目の温度を臨界温度 𝑇𝑐 といい,その温度の等温線にはちょうど1点だけ傾きも曲がり方も0になる点があります.これが臨界点です.
[図:温度による等温線の変化]高温では単調減少,臨界温度では水平な変曲点,低温では正の傾きをもつ区間が生じる.低温線は模型の式そのものを示す.
臨界点より低い温度では,気体を押し縮めていくと途中で液体が現れ,液体と気体が共存します.𝑇𝑐 より高い温度では,どこまで圧縮しても2つの相に分かれません.ブタンの 𝑇𝑐 は約 425 K なので,室温は十分に低く,数気圧で液体になります.窒素の 𝑇𝑐 は約 126 K なので,室温ではどれだけ押しても液体になりません.臨界点の値を 𝑎,𝑏 から求める計算は,次の節で行います.
ポイント ここまでのまとめ
理想気体の式は,分子に大きさがないこと,分子間に力が働かないことを仮定していた.この2つをゆるめると状態方程式が変わる.
分子を直径 𝑑 の硬い球とすると,使える体積は 𝑤 から 𝑤 −𝑏(𝑏 =23𝜋𝑁𝐴𝑑3)に減り,圧力は上がる.
壁の近くの分子は内向きに引かれるので,壁への力積が減る.減り分は数密度の2乗に比例し,𝑎/𝑤2 と書ける.
合わせると (𝑝+𝑎/𝑤2)(𝑤 −𝑏) =𝑅𝑇(ファンデルワールスの状態方程式).𝑏/𝑤 と 𝑎/(𝑅𝑇𝑤) がともに小さいとき理想気体に戻る.常温常圧の空気ではどちらも 10−3 程度.
問いの答え:理想気体の式には引力が入っていないので,分子が集まって液体になる道がない.引力を入れると,臨界温度より低い温度では圧縮によって液体が現れる.ブタンは室温が臨界温度より十分低いのでボンベの中で液体になり,窒素は室温が臨界温度より高いので液体にならない.