問い
無風の日に,雨が真下に一定の速さで降っているとします.傘もささずに立っていると,雨粒は頭の真上から降ってきます.ところが同じ雨の中を走り出すと,雨は前から顔に当たるように見えます.雨そのものの降り方は変わっていないのに,なぜ見え方が変わるのでしょうか.雨粒の落ちる速さを 8 ms−1,走る速さを 4 ms−1 とすると,走っている人は雨が鉛直からどちらへ何度傾いて降ってくるように感じるでしょうか.まず自分で考えてみてください.
考えてみる
走っている人の立場で考えてみます.人は前へ進んでいるので,雨粒は人に対して後ろへ流れていくように見えるはずです.隣の線路を並んで走る電車がゆっくり後ずさりして見えるのと同じで,「見える速さ」は,見ている側の動きを差し引いた量になりそうです.
人から見た雨粒は,下向きの 8 ms−1 に加えて,後ろへ 4 ms−1 流れます.雨粒が後ろ下へ向かって来るということは,逆にたどれば前上方から降ってくるということで,これが「雨が前から降ってくる」感覚の正体です.以下では,この「差し引く」操作を位置・速度・加速度のベクトルで正確に書き,答えを数値で確かめます.
相対位置・相対速度・相対加速度
「どの立場から見るか」を明記するために,次のように定義します.
定義 相対位置・相対速度・相対加速度
物体A,Bの位置ベクトルを 𝒓A, 𝒓B とする.Aから見たBの相対位置を
𝒓BA=𝒓B−𝒓A
と定める.これを時間で微分したものが相対速度,もう一度微分したものが相対加速度である.
𝒗BA=d𝒓BAd𝑡=𝒗B−𝒗A,𝒂BA=𝒂B−𝒂A
微分は線形なので,差の微分は微分の差になります.相対速度は「相対位置の時間変化率」であり,同時に「速度の差」でもあります.
ここで,相対速度があるなら「絶対速度」もあるのではないか,と思うかもしれません.実際には,速度は何かを基準にして初めて値が決まる量です.地面から見た電車の速度と,隣を走る電車から見た同じ電車の速度は,どちらも正しいのに値が違います.基準にする物体(と,それに固定した座標軸)を座標系といいます.この章では,座標軸の向きは常に共通に保ち,回転する座標系は扱いません.以後,「地面から見た」という言い方を「地上系」,「Aに乗って見た」という言い方を「A系」と書きます.
速度の合成
人Pが電車Tの中を歩いています.その電車を地面Gから見ています.このとき,次の関係が成り立ちます.
法則 速度の合成
𝒗PG=𝒗PT+𝒗TG
「地面から見たPの速度」は「電車から見たPの速度」に「地面から見た電車の速度」を加えたものである.
導出は1行です.定義から 𝒗PT =𝒗P −𝒗T,𝒗TG =𝒗T −𝒗G なので,足すと 𝒗P −𝒗G =𝒗PG になります.添字が隣り合う所で「打ち消し合う」ので,式を書くときに間違えにくくなります.
最初の問いに戻ります.水平方向前向きに 𝑥 軸,鉛直上向きに 𝑦 軸をとります.地面を G,雨粒を R,走る人を P として,𝒗RG =(0, −8) ms−1,𝒗PG =(4,0) ms−1 です.人から見た雨粒の速度は
𝒗RP=𝒗RG−𝒗PG=(−4,−8)ms−1
となります.雨粒は人に対して後ろへ 4 ms−1,下へ 8 ms−1 進みます.この速度の向きは鉛直下向きから後ろへ arctan(4/8) ≈27∘ 傾いており,見かけの速さは √42+82 ≈8.9 ms−1 です.雨粒が来る向きはその逆なので,走る人は雨が鉛直から前へ約 27∘傾いて降ってくると感じます.走るほど傾きが大きくなるのも,式から分かります.
[図:立っている人と走る人から見た雨粒の速度]雨粒は地面に対して鉛直下向きに8m/sで落ちる.立っている人から見た雨粒の速度v_RPは地面に対する速度v_RGと同じ.右へ走る人(初期状態で4m/s)では,v_RPはv_RGからv_PGを引いたベクトルで,後ろへ4m/s,下へ8m/sの左下向きになり,雨は鉛直から前へ約27°傾いて見える.スライダーで走る速さを変えると,傾きが走る速さとともに大きくなる様子が分かる.
雨粒は地面に対して鉛直下向きに8m/sで落ちる.立っている人から見た雨粒の速度v_RPは地面に対する速度v_RGと同じ.右へ走る人(初期状態で4m/s)では,v_RPはv_RGからv_PGを引いたベクトルで,後ろへ4m/s,下へ8m/sの左下向きになり,雨は鉛直から前へ約27°傾いて見える.スライダーで走る速さを変えると,傾きが走る速さとともに大きくなる様子が分かる.
川を渡る船
川には流れがあります.川の水に対する船の速さが 𝑣,岸に対する水の流れの速さが 𝑢 のとき,岸(地上系)から見た船の速度は,合成則から
𝒗船・岸=𝒗船・水+𝒗水・岸
です.船首を向ける向きを決めるのは「水に対する速度」の向きであり,実際に進む向きは足し合わせたあとのベクトルの向きです.川幅方向と流れ方向に分けて成分で考えると,川幅方向の運動は流れに影響されないことが分かります.対岸に着くまでの時間は川幅方向の速さだけで決まり,流れは「どこに着くか」だけを変えます.
[図:川を渡る船の速度の合成]川幅d,流速u,船の水に対する速度vを矢印で示す.左は船首を対岸へまっすぐ向けた場合で,岸から見た船の速度はv+uとなり下流側へ斜めに進む.右は船首を上流側へ角θだけ傾けた場合で,v+uの向きは下流側への傾きが小さくなる.どちらも川幅方向の速さはvの川幅方向の成分だけで決まる.
ポイント ここまでのまとめ
Aから見たBの相対位置・相対速度・相対加速度は,B の量から A の量を引いて作る.𝒗BA =𝒗B −𝒗A.
速度の合成は 𝒗PG =𝒗PT +𝒗TG.添字が隣り合う所で打ち消し合う形に書くと間違えにくい.
問いの答え:走る人から見た雨は,鉛直から前へ約 27∘ 傾いて降ってくる(見かけの速度は ( −4, −8) ms−1).
川を渡る船では,川幅方向の運動は流れの影響を受けない.時間は川幅方向の速さだけで決まり,流れは着く位置だけを変える.