問いしるべ
問いから始める物理 確率振幅から組み立てる量子力学(発展)

確率振幅から組み立てる量子力学(発展)

スピンと回転

著者:柚木芹香

問い

銀の原子を炉で蒸発させて細いビームにし,上下で強さの違う磁場(不均一な磁場)の中を通して,向こうのガラス板に当てます.銀の原子は小さな磁石なので,磁石の向きに応じて上や下へ曲げられるはずです.炉から出てくる原子の磁石の向きはばらばらなので,ガラス板には上下に伸びた1本の帯ができると予想できます.ところが実際には,ビームはちょうど2本に分かれ,その間には何も届きません.小さな磁石の向きはばらばらのはずなのに,なぜ2本なのでしょうか.

考えてみる

磁気モーメント m を持つ小さな磁石を,z 方向に強さが変わる磁場に置くと,z 方向に力 Fz=mz∂Bz∂z を受けます(第22章).力は磁気モーメントの z 成分 mz=mcos⁡α に比例するので,向き α がばらばらなら,曲がる量も −m から m まで連続にばらつき,帯になるはずです.2本に分かれたということは,どの原子についても mz が +m か −m の2つの値しかとらないということです.

ここで困るのは,z 方向が実験する人の選んだ方向にすぎないことです.磁石を傾けて x 方向に分ける装置にしても,やはり2本に分かれます.すべての原子の磁石が,z 方向にも x 方向にも「ちょうど上か下」を向いていることはできません.「原子の磁石が前からどちらかを向いていて,装置がそれを読む」という古典的な描像を捨て,前の題材までの確率振幅の言葉で考え直す必要があります.

シュテルン・ゲルラッハの装置とフィルター

銀の原子の磁気モーメントは,1個の電子のスピン(固有の角運動量)から来ています.電子・陽子・中性子もスピンを持ち,どれも1つの方向で測るとちょうど2つの値のどちらかになります.このような粒子をスピン1/2の粒子といいます(角運動量の成分が ±ℏ/2 になるため).

不均一な磁場で z 方向に2本に分ける装置を S と呼び,上へ曲がった原子の状態を |+⟩,下へ曲がった原子の状態を |−⟩ と書きます.出口の一方をふさげば,S は片方の状態だけを通すフィルターになります.

左から来た銀原子のビームが,とがった上の磁極と溝のある下の磁極の間を通る.装置 S はビームを上下に分け,右のガラス板に |+⟩ と |−⟩ の2か所の跡を作る.点線の縦長の枠は古典的に予想される連続した帯.磁極の形と軌道は模式的に示す. 左から来た銀原子のビームが,とがった上の磁極と溝のある下の磁極の間を通る.装置 S はビームを上下に分け,右のガラス板に |+⟩ と |−⟩ の2か所の跡を作る.点線の縦長の枠は古典的に予想される連続した帯.磁極の形と軌道は模式的に示す.

|+⟩ だけを通したビームを,同じ向きの2台目の S に入れると,すべて + の出口に出ます.− の出口には1個も来ません.1台目の結果は「たまたま」ではなく,2台目で同じ測定をすればまた同じ結果になります.では,2台目を y 軸のまわりに角 θ だけ傾けた装置 T にしたらどうなるでしょうか.実験では,T の + の出口に出る割合は cos2⁡(θ/2),− の出口に出る割合は sin2⁡(θ/2) です.θ=90∘ なら半分ずつで,θ=180∘ なら全部が − です.

ここで,3台目として S をもう一度置くと,T の + の出口から来た原子は,z 方向で + にも − にも出ます.T を通したことで,1台目で + と決めたことが「忘れられた」のです.状態は装置を通るたびに選び直されます.

定義 基底の状態

ある装置で分けられる状態の組 |i⟩(スピン1/2の S なら |+⟩,|−⟩)を,その装置の基底という.基底は次の性質を持つ.

  1. 互いに重ならない:⟨j|i⟩=0(i≠j),⟨i|i⟩=1.

  2. 漏れがない:どんな状態 |ψ⟩ も,どれかの出口に必ず出る.∑i|⟨i|ψ⟩|2=1.

  3. どんな振幅も基底を経由して書ける:⟨χ|ψ⟩=∑i⟨χ|i⟩⟨i|ψ⟩.

3つ目は,前の題材の「区別できない経路の振幅を足し,続けてたどる経路の振幅を掛ける」規則そのものです.基底の装置を,出口の一方もふさがず,経路の記録も残さずに通すことは,何もしないのと同じだからです.実際に,S の2本のビームを逆向きの磁場でもう一度合わせる装置(修正した S)を作れば,入れる前と同じ状態が出てきます.逆向きの振幅は複素共役 ⟨ψ|i⟩=⟨i|ψ⟩∗ です.

傾けた装置への振幅

性質3から,どんな状態も S の基底の2つの振幅 ⟨+|ψ⟩,⟨−|ψ⟩ で決まります.T の基底を |+θ⟩,|−θ⟩ と書くと,T で測る振幅は

⟨+θ|ψ⟩=⟨+θ|+⟩⟨+|ψ⟩+⟨+θ|−⟩⟨−|ψ⟩

のように,4つの振幅 ⟨±θ|±⟩ が分かれば計算できます.これらを決めるのに,回転についての2つのことを使います.

1つ目は,確率の和が1であること(性質2)です.2つ目は,回転の重ね合わせです.y 軸のまわりに θ1 傾けた装置からさらに θ2 傾けた装置は,最初から θ1+θ2 傾けた装置と同じものです.空間はどの向きも同等なので(第13章の等方性),振幅の変換も,傾けた角度だけで決まり,角を足すと変換を続けて行うことになるはずです.

状態の振幅の組に掛ける変換を,θ の関数として,各振幅の位相を適当に選んで実数にとります.確率の和を保ち,θ=0 で何もせず,角の足し算が変換を続けることになる実数の変換は,ある定数 k を使って

⟨+|+θ⟩=cos⁡kθ,⟨−|+θ⟩=sin⁡kθ,⟨+|−θ⟩=−sin⁡kθ,⟨−|−θ⟩=cos⁡kθ

の形に限られます(平面の回転の行列と同じ形.数学の節で確かめます).|+⟩ から T の + に出る確率は cos2⁡kθ で,実験の cos2⁡(θ/2) と比べると k=1/2 です.

法則 スピン1/2の回転

y 軸のまわりに角 θ 傾けた装置の基底は,S の基底で

|+θ⟩=cos⁡θ2|+⟩+sin⁡θ2|−⟩,|−θ⟩=−sin⁡θ2|+⟩+cos⁡θ2|−⟩

と書ける.⟨+θ|+⟩=cos⁡(θ/2),⟨−θ|+⟩=−sin⁡(θ/2),⟨+θ|−⟩=sin⁡(θ/2),⟨−θ|−⟩=cos⁡(θ/2) である.

なぜ cos2⁡(θ/2) なのかは,古典的な極限との対応から納得できます.多数の原子で測った mz の平均は,+m の確率から −m の確率を引いて m[cos2⁡(θ/2)−sin2⁡(θ/2)]=mcos⁡θ です.これは,z 方向を向いた古典的な磁石を角 θ 傾いた方向で測った値 mcos⁡θ と同じで,平均は古典的な結果に一致するのです.

360°回すと符号が変わる

上の式で θ=2π とおくと,|+2π⟩=−|+⟩,|−2π⟩=−|−⟩ です.装置を1回転させると元の装置に戻るのに,状態は −1 倍になります.元の cos⁡(θ/2) が 4π で1周するためで,4π 回して初めて完全に元に戻ります.

全体に掛かる −1 は,どの確率にも効きません.どの装置で測っても,振幅は全部 −1 倍になり,絶対値の2乗は同じだからです.|ψ⟩ と eiα|ψ⟩(α は実数)は,どんな測定でも区別できない同じ状態です.全体の位相には意味がありません.

意味があるのは相対位相です.1本のビームを2つの経路に分け,片方の経路のスピンだけを1回転させてから合わせると,回した経路の振幅だけが −1 倍になり,干渉の明暗が入れ替わります.1975年ごろ,中性子の干渉計の片方の経路に磁場をかけてスピンを回す実験で,この符号の変化が確かめられました.

[図:片方のスピンの回転と干渉計の出口]

初期状態は θ = 0 で,2つの経路の位相がそろい,出口 A の計数が100 %,B が0 %.スライダーで片方の経路のスピンだけを y 軸のまわりに0から4πまで回せる.2πではスピンの矢印が元の向きに戻る一方で振幅が −1 倍となり,出口の明暗が入れ替わる.4πでは振幅と計数が元に戻る.2つの経路を等分し,回転以外の位相差を0とした模式図.出口ではスピンを区別せず数える.

z 軸のまわりの回転と横向きの状態

装置を z 軸のまわりに角 ϕ(ここでは振幅ではなく角)回しても,S は S のままです.z 方向の基底は変わらず,振幅に位相が付くだけです.角の足し算と,2π 回すと y 軸のまわりと同じく −1 倍になること(回転軸を少しずつ傾けても 2π の回転の結果は連続にしか変われず,±1 のどちらかなので同じ値になる)から,状態を z 軸のまわりに ϕ 回す変換は

|+⟩→e−iϕ/2|+⟩,|−⟩→eiϕ/2|−⟩

です.2つの位相の差 ϕ が,横向きのスピンの向きを決めます.

θ=π/2 の装置の + は x 方向を向いたスピンで,|+x⟩=(|+⟩+|−⟩)/2 です.これを z 軸のまわりに π/2 回すと,全体の位相を除いて

|+y⟩=12(|+⟩+i|−⟩)

になり,これが y 方向を向いたスピンです.|+x⟩ と |+y⟩ は,z 方向の確率がどちらも半分ずつで,違うのは相対位相だけです.相対位相を実数に限ると横向きの状態が表せないので,振幅は複素数でなければなりません.

混合と重ね合わせ

炉から出たばかりの原子のビームは,どの向きの装置で測っても半分ずつに分かれます.これを無偏極といいます.無偏極のビームは,|+⟩ と |−⟩ の重ね合わせではありません.(|+⟩+|−⟩)/2 は |+x⟩ なので,x 方向の装置で全部が + に出てしまいます.

無偏極のビームは,|+⟩ の原子と |−⟩ の原子を,確率で半分ずつ混ぜたもの(混合)と考えます.混合では,成分ごとに確率を計算してから,混ぜた割合で重みを付けて足します.振幅を足すのは1個の原子の状態の中だけで,別々の原子の振幅は足しません.どの向きの成分で混ぜても,半分ずつの混合は同じ測定結果を与えます.

スピン1の場合(結果だけ)

窒素の原子核のように,1つの方向で測ると3本に分かれる粒子もあります.これをスピン1といい,基底は |+⟩,|0⟩,|−⟩ の3つです.同じ考え方で,y 軸のまわりに θ 傾けた装置への振幅 ⟨jθ|i⟩ は次の表になります.

|+⟩

|0⟩

|−⟩

⟨+θ|

(1+cos⁡θ)/2

sin⁡θ/2

(1−cos⁡θ)/2

⟨0θ|

−sin⁡θ/2

cos⁡θ

sin⁡θ/2

⟨−θ|

(1−cos⁡θ)/2

−sin⁡θ/2

(1+cos⁡θ)/2

各列の2乗の和が1になることを確かめてください.スピン1では θ の半分の角が現れず,2π 回すと符号も含めて元に戻ります.半分の角が現れて 2π で符号が変わるのは,スピン1/2・3/2 のように半整数のスピンの粒子です.それがフェルミ粒子で,第3題材の交換の符号とも結びついています(スピンと統計の関係).

適用条件

ここではシュテルン・ゲルラッハの装置を理想化しました.2本のビームがはっきり分かれるには,曲がる量がビームの太さよりも十分大きいことが要ります.ビームを細く絞りすぎると,不確定性原理で横向きの運動量が広がり,かえってビームが太ります.また,2本を再び合わせる装置で干渉を見るには,2つの経路の長さや磁場の揺らぎによる位相のずれの幅が,1 rad より十分小さくなければなりません.この条件が破れると,相対位相がそろわず,干渉は消えて確率の足し算になります.

問いに戻る

銀の原子のスピンは,どの方向で測ってもちょうど2つの値しかとりません.「原子の磁石は前からどこかを向いている」のではなく,装置の向きを決めると,その向きの基底 |+⟩,|−⟩ のどちらかに,振幅の絶対値の2乗の確率で出るのです.だからビームは2本に分かれ,その間には何も届きません.ばらばらな向きに見えるのは,|+⟩ と |−⟩ の混合だからです.別の向きの装置への振幅は,回転の重ね合わせと確率の保存から cos⁡(θ/2),sin⁡(θ/2) と決まり,平均は古典的な mcos⁡θ に戻ります.

ポイント ここまでのまとめ

  • スピン1/2の粒子は,どの方向で測っても +,− の2つの結果だけをとる.装置ごとの基底 |+⟩,|−⟩ で,どんな状態も2つの振幅で表せる.

  • y 軸のまわりに θ 傾けた装置の基底は |+θ⟩=cos⁡(θ/2)|+⟩+sin⁡(θ/2)|−⟩,|−θ⟩=−sin⁡(θ/2)|+⟩+cos⁡(θ/2)|−⟩.

  • 2π 回すと状態は −1 倍になる.全体の位相は測れないが,干渉計で一方だけ回すと相対位相として現れる.

  • z 軸のまわりの回転は位相 e∓iϕ/2 を付ける.|+x⟩=(|+⟩+|−⟩)/2,|+y⟩=(|+⟩+i|−⟩)/2.

  • 無偏極のビームは重ね合わせではなく混合で,成分ごとの確率を割合で重み付けして足す.