問いしるべ
問いから始める物理 ゆらぎと拡散(発展)

ゆらぎと拡散(発展)

第18章のまとめ

著者:柚木芹香

この章では,たくさんの分子がでたらめに動くとき,全体として何が起こるかを追いました.平均すると0になるゆらぎが,2乗では着実に積み上がること(ランダムウォーク),その積み上がりが物質・エネルギー・運動量の輸送として現れること,ゆらぎと抵抗が切り離せないこと,そして分子がいない真空でも放射が熱を運ぶことが中心です.第15章から第17章が平衡の話だったのに対し,この章は平衡へ向かう途中の話でした.記号は第15章の約束のまま,n は数密度(単位体積あたりの分子数),σ は衝突断面積です.ここで定義と法則を一覧にし,各題材の最初の問いに短く答えます.

定義と法則

法則 ランダムウォークとブラウン運動

  • 各歩が互いに独立で,1歩の平均が0である N 歩(1歩の長さ l)の酔歩では ⟨x⟩=0,⟨x2⟩=Nl2.交差項 ⟨sjsk⟩(j≠k)が平均して消えるからで,広がりは Nl にしか比例しない.向きまで等方的なら3次元の1成分は 13Nl2.偏った歩では足し算できるのは分散だけで ⟨x2⟩=⟨x⟩2+Nσs2 である.

  • 独立な量の和では分散が足し算になる:σX+Y2=σX2+σY2.N 個の和の標準偏差は Nσ,N 個の平均の標準偏差は σ/N である.

  • 液体中の粒も熱平衡の一員で 12m⟨v2⟩=32kBT.移動度 μm(v=μmF)を使うとアインシュタインの関係 ⟨x2⟩=2μmkBTt が成り立つ.球では μm=1/(6πηa).この式からアボガドロ数が測れる(ペラン).これは t≫τv=mμm の式で,τv より短い間隔では弾道運動になり,見かけの速度は1成分の kBT/m に近づく.

法則 平均自由行程と拡散

  • 衝突断面積 σ,数密度 n のとき,平均自由行程は λ∼1/(nσ)(標的を静止とみなす模型.同種の硬球では 1/(2nσ)),衝突の平均の間隔は τ=λ/v¯.室温1気圧の空気で λ≈0.1μm,τ≈2×10−10s.液体にはこの考え方を使えない.

  • フィックの法則 J=−D∂c/∂x.気体では D≈13λv¯ で,広がりは ⟨x2⟩=2Dt.

  • 保存則 ∂c/∂t=−∂J/∂x と合わせて拡散方程式 ∂c/∂t=D∂2c/∂x2.断面積 A の管の原点に N0 個を置いた解は幅 2Dt の釣鐘形 c=N0exp⁡[−x2/(4Dt)]/(A4πDt).c は数密度なので,A を落とすと A∫cdx=N0 が合わない.

  • アインシュタインの関係 D=μmkBT.閉じた容器の熱平衡でドリフトと拡散がつり合うことから出るので,気体でも液体でも成り立つ.流束が0になるのは熱平衡のときで,定常でも外から濃度を保てば流れ続ける.

法則 熱伝導と粘性

  • フーリエの法則 q=−κdT/dz,ニュートンの粘性法則 F/S=ηdu/dz(面より速い側が遅い側を流れの向きに引く力.x 方向の運動量の z 向きの流束は −η∂u/∂z).

  • 気体では κ≈13nv¯λc1(c1 は1分子あたりの熱容量),η≈13nmv¯λ.λ∼1/(nσ) を入れると数密度が消え,どちらも圧力によらない.

  • 拡散・熱伝導・粘性は,運ぶ量が粒子数・エネルギー・運動量と違うだけの同じしくみで,係数はどれも 13λv¯ に「運ばれる量の密度」を掛けた形である.

  • 圧力によらないのは 1≫Kn=λ/d のときだけ.Kn∼1 が遷移で,Kn≫1 の自由分子の領域では熱流が圧力に比例して減る(真空断熱).

法則 熱放射

  • キルヒホッフの法則:同じ温度・同じ波長で吸収率と放射率 ε は等しい.よく吸う面はよく放射する.

  • シュテファン・ボルツマンの法則:黒体の表面からは単位面積あたり j=σSBT4(σSB=5.67×10−8Wm−2K−4).温度 Te の大きな等温の環境に囲まれた灰色体の正味は P=εσSBS(T4−Te4).

  • ウィーンの変位則:λmaxT=2.90×10−3mK.室温なら赤外,太陽の表面なら可視光.波長ごとの分布を与えるプランク則は量子論の出発点になった.

  • 温度差が小さければ線形化して P≈hrSΔT,hr=4εσSBTe3.室温では 5.7Wm−2K−1 ほどで,自然対流の h と同じ桁である.

  • 放射を受けて放射する物体は,出入りがつり合う温度に落ち着く.受ける面積と放射する面積の違いに注意する.

手順

ポイント ゆらぎと輸送の問題を解く手順

  1. でたらめな量の和が出てきたら,平均と分散を分けて考える.独立なら分散を足す.和か平均かで N 倍か 1/N 倍かが変わる.

  2. 広がりを問われたら,まず ⟨x2⟩=2Dt(3次元なら 6Dt)を立て,D を μmkBT か 13λv¯ で求める.時間と距離は t∝x2 で結ぶ.

  3. 気体の微視的な量を出すときは λ∼1/(nσ),τ=λ/v¯ から始める.圧力や温度を変えたら,n∝p/T,v¯∝T で追う.

  4. 定常の問題(時間変化なし)では,流れが一定であることを使う.平板なら直線分布,球対称なら A+B/r,円筒なら ln⁡r の形になる.

  5. 熱なら R=L/(κS) の熱抵抗にして,直列・並列で組み合わせる.温度差が電圧,熱流が電流にあたる.

  6. 真空や高温の問題では放射を忘れない.まず P=εσSBS(T4−Te4) を書き,温度差が小さければ hr=4εσSBTe3 にして対流の h や伝導の熱抵抗と並べて比べる.

  7. 結果が成り立つ範囲を確かめる.λ が容器より小さいか,観測の時間が τv=mμm より長いか,線形化してよいほど温度差が小さいかを見る.

主な公式

  • ランダムウォーク:⟨x2⟩=Nl2,σX+Y2=σX2+σY2,二項分布の標準偏差 N/2

  • ブラウン運動:⟨x2⟩=2Dt=2μmkBTt,μm=16πηa,τv=mμm

  • 平均自由行程:λ∼1nσ,τ=λv¯

  • 拡散:J=−D∂c/∂x,D=μmkBT≈13λv¯,∂c/∂t=D∂2c/∂x2,球への取り込み I=4πDac0

  • 熱伝導:q=−κdT/dz,R=LκS,円筒は ln⁡(b/a)2πκℓ,熱拡散率 α=κρc

  • 粘性:FS=ηdu/dz,η≈13nmv¯λ

  • 熱放射:j=σSBT4,P=εσSBS(T4−Te4),hr=4εσSBTe3,λmaxT=2.90×10−3mK,惑星の平衡温度 T=[S0(1−A)/(4σSB)]1/4

各題材の問いへの答え

  • ブラウン運動とランダムウォーク:粒を動かし続けているのは,周りの水の分子がぶつかる回数のゆらぎである.左右の回数は平均すれば同じだが,差は N 程度残る.粒が離れる距離は時間に比例せず,2μmkBTt と時間の平方根に比例する.

  • 拡散:インクの分子は秒速数百メートルで動いていても,周りの分子にぶつかってすぐ向きを変えるランダムウォークをしている.広がりは 2Dt にしかならず,水中の D≈10−9m2s−1(実測値)では 1cm に半日ほどかかる.空気の 0.1μm という自由行程は液体に使えないので,液体では測った D から出発する.においがすぐ届くのは,拡散ではなく空気の流れが運ぶからである.

  • 熱伝導と粘性:空気を半分抜いても熱の伝わりは半分にならない.運び手が半分になるかわりに平均自由行程が2倍になり,打ち消し合うからである.魔法瓶が効くのは,λ が二重壁の隙間を超えるところまで圧力を下げてあり,そこから先は熱流が圧力に比例して減るためである.

  • 熱放射:真空を渡った熱は電磁波である.魔法瓶は向かい合う両面を低い放射率の鏡にして正味の放射を数十分の1に落としてあり,それでも残る 1W ほどで何時間かかけて冷める.地球の温度は,受ける放射と宇宙へ出す放射のつり合いで決まり,アルベド 0.30 なら 255K.実際の地表がこれより高いのは,大気が赤外線を吸収して返すからである.

この章で使った数学

平均と分散,独立な量の和の分散,二項分布と正規分布への近づき方,1階の微分方程式(速度の減衰,濃度差の緩和),偏微分と拡散方程式,ガウス関数の微分,1/r と ln⁡r を使った球対称・円筒対称の定常解,次元解析による Dt の見つけ方,(1+x)4≈1+4x による4乗則の線形化がありました.