問い
魔法瓶の二重壁をどれだけ丁寧に真空にしても,中のお湯は何時間かで冷めます.分子が1つもない隙間を,熱はどうやって渡ったのでしょうか.また,太陽から 1.5 ×1011 m も離れた地球の温度は,いったい何で決まっているのでしょうか.
考えてみる
真空には分子がないので,前の節の伝導も,気体がかたまりで動く対流も使えません.残っているのは電磁波です.赤熱した鉄や電気ストーブを思い出せば,熱いものが光を出すことは知っています.室温の物も,目に見えない赤外線を出し続けています.赤外線カメラが暗い部屋でも人の形を写せるのは,そのためです.
では,出ていくエネルギーは何で決まるのでしょうか.温度だけでしょうか,それとも表面の性質にもよるのでしょうか.ここで困るのは,黒い面は放射をよく吸うと同時に,よく出すのかどうかです.片方だけがうまい面があれば,その面を使って温度差を作り続けられてしまいそうです.
なお,この節では 𝜆 を電磁波の波長の意味で使います.前の節までの平均自由行程とは別のものです.
黒体と放射率
当たった放射を,どの波長でも全部吸収する理想の面を考えます.これを黒体といいます.実際の面は一部を反射したり通したりするので,同じ温度・同じ波長の黒体を基準にした放射の割合で表します.
定義 黒体・放射率・キルヒホッフの法則
当たった放射を波長によらず全部吸収する物体を黒体という.温度と波長が同じ黒体に比べた放射の割合を放射率 𝜀(0 ≤𝜀 ≤1)といい,当たった放射のうち吸収する割合を吸収率という.熱平衡では,同じ波長・同じ温度について
吸収率=放射率
が成り立つ(キルヒホッフの法則).よく吸う面はよく放射し,よく反射する面は放射もしない.
これは次のように確かめられます.温度 𝑇 の等温の空洞の中に物体を入れて放っておくと,物体の温度は 𝑇 のまま変わりません.もしある波長で吸収のほうが放射より多ければ,その波長だけを通すフィルターを使って物体を暖め,別の波長で冷やして,温度差を自然に作り出せてしまいます.これは第16章の第二法則に反します.だから,波長ごとに吸収と放射がつり合っていなければなりません.「黒いものは日なたで熱くなる」と「黒いものはよく冷える」は,同じ一つの性質の裏表です.
シュテファン・ボルツマンの法則
全部の波長を合わせて出ていくエネルギーは,温度の4乗に比例します.
法則 シュテファン・ボルツマンの法則
温度 𝑇 の黒体の表面からは,単位面積・単位時間あたり
𝑗=𝜎SB𝑇4,𝜎SB=5.67×10−8Wm−2K−4
のエネルギーが出る.𝜎SB をシュテファン・ボルツマン定数という(この章では 𝜎 を衝突断面積に使っているので,添字 SB で区別する).放射率 𝜀 が波長によらない面(灰色体)が,温度 𝑇e の大きな等温の環境に囲まれているとき,面積 𝑆 から出ていく正味のエネルギーは
𝑃=𝜀𝜎SB𝑆(𝑇4−𝑇4e)
である.
後ろの式の第2項が,環境から来て吸収される分です.キルヒホッフの法則のおかげで,吸収のほうにも同じ 𝜀 が付きます.𝑇 =𝑇e なら正味が0になり,囲まれた物体が環境と同じ温度に落ち着くことと合います.
[図:等温の壁と物体の放射の出入り]温度 T の物体が温度 T_e の大きな等温の壁に囲まれている断面図.物体から出る赤い放射は εσ_SB S T⁴,壁から来て物体に吸収される青い放射は εσ_SB S T_e⁴ である.正味の外向きの熱流は両者の差 P=εσ_SB S(T⁴−T_e⁴) となり,T=T_e で0になる.
4乗はおそろしく急です.室温 300 K の黒体は 1 m2 あたり 4.6 ×102 W も出しています.それでも私たちが凍えないのは,周りの壁からほぼ同じだけ返ってくるからです.皮膚(307 K)と 293 K の部屋の差を取ると正味は 1 m2 あたり 85 W ほどで,体表の面積を考えると,人は放射だけで 100 W の桁のエネルギーを失っています.温度が2倍になれば放射は16倍ですから,高温の炉や星では放射がほかの運び方を圧倒します.
公式 ウィーンの変位則
黒体の放射がもっとも強くなる波長は
𝜆max𝑇=2.90×10−3mK
を満たし,温度が高いほど短い波長へ移る.
室温の 300 K では 𝜆max ≈9.7 𝜇m で,目に見えない赤外線です.1000 K でも 2.9 𝜇m の赤外ですが,分布のすその一部が可視に入るので赤く見えはじめます.太陽の表面(約 5800 K)では 0.50 𝜇m で,ちょうど可視光の真ん中です.
[図:温度による黒体の放射スペクトルの変化]波長 λ と波長あたりの放射の強さを両対数目盛で示す.プランクの式で計算した300 K,1000 K,5800 Kの曲線のピークは,それぞれ約9.7 μm,2.9 μm,0.50 μmである.λ_max T=2.90×10⁻³ m K に従って高温ほどピークが短波長へ移り,ピークの高さは T⁵ に比例して増す.橙の縦帯は可視光0.40〜0.70 μmである.両対数目盛では相対的な山の幅は同じで,線形の波長幅は高温ほど狭くなる.
波長ごとの強さを与える式は,1900年にプランクが見つけました.それを導くには,電磁波のエネルギーが ℎ𝜈 を単位にしてしか出入りしないという,当時は突飛な仮定が必要でした.第17章のボルツマン因子が,エネルギーの大きい振動ほど励起されにくいことを通じて短い波長側を抑えている,と見ることもできます.熱放射は量子論の出発点になった現象です.この本では分布の形そのものは使わず,全体の量(4乗則)とピークの位置(変位則)だけを使います.
放射のつり合いが温度を決める
放射は,温度を決める側にもまわります.外から放射を受け取り,自分も放射している物体は,受け取る量と出す量が等しくなる温度に落ち着きます.これが放射のつり合いです.太陽から受ける量と宇宙へ逃がす量でつり合う惑星の温度は,次の節の例題1で計算します.
魔法瓶に戻りましょう.真空にすれば伝導は止まりますが,放射は残ります.そこで,向かい合う2つの面の放射率を小さくします.放射が2面の間を何度も往復することまで数えると,単位面積あたりの正味の熱流は
𝑃𝑆=𝜎SB(𝑇41−𝑇42)1/𝜀1+1/𝜀2−1
となります(導出は発展問題にします).両面を 𝜀 =0.05 の鏡にすれば分母は39で,黒い面どうしの40分の1ほどに減ります.𝑇1 =373 K,𝑇2 =293 K なら 17 Wm−2,向かい合う面の面積を 0.06 m2 として約 1 W です.0.50 kg のお湯なら1時間に 2 K 弱の冷え方で,実際の魔法瓶とよく合います.これが問いの答えです.
[図:真空と鏡で熱を逃がしにくくした魔法瓶]魔法瓶の二重壁を断面で示す.内側は T₁=373 K,外側は T₂=293 Kで,壁の間は真空である.向かい合う面はともに放射率 ε=0.05 の鏡で,赤い放射は真空の隙間を往復し,大部分が反射される.青い短い矢印は壁で吸収されるわずかな分を示す.口と底の支持部だけには固体を通る伝導の経路が残る.この条件では面積0.06 m²の正味の放射は約1 Wとなる.
ポイント ここまでのまとめ
真空でも熱は電磁波で運ばれる.キルヒホッフの法則により,同じ温度・同じ波長で吸収率と放射率は等しい.
黒体の放射は 𝑗 =𝜎SB𝑇4,灰色体が環境に囲まれたときの正味は 𝑃 =𝜀𝜎SB𝑆(𝑇4 −𝑇4e).
ピークの波長は 𝜆max𝑇 =2.90 ×10−3 mK.室温なら赤外,太陽の表面なら可視光になる.
放射を受けて放射する物体の温度は,出入りのつり合いで決まる.
問いの答え:真空を渡った熱は電磁波である.魔法瓶は両面を低い放射率の鏡にして正味の放射を数十分の1にしてあり,それでも残る 1 W ほどで何時間かかけて冷める.地球の温度は,太陽から受ける放射と宇宙へ出す放射のつり合いで決まる(次の節の例題1で 255 K と見積もる).